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「ソウルの達人」への道
慶州では、新羅時代の栄華に想いをはせる
2015年 01月 18日 (日) 08:07 | 編集
お昼ごろに慶州に到着しました。

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慶州駅を駅構内から見ると漢字の駅名表記。

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外からは、ハングル表記。

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この違いはなんだ?

今回の慶州訪問の目的は、慶州の真ん中を見るためです。ほとんど歩いて移動できる範囲なので、歩きます。

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さすが、歴史的景観を保存している慶州。コーヒーショップも伝統的建築様式です。

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最初の向かったのは、ここ。

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まだ行ったことがなかったんです。2,000ウォンで入場券を買います。

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中に入ります。

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元々の名前は月池宮でしたが、朝鮮時代に廃墟になったこちらに雁と鴨が飛んで入って来るようになって、雁鴨池と呼ばれ始めたそうです。

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1975年に池の大掃除を兼ねた発掘調査で雁鴨池の全容がほぼ現われ、池の全体面積は4,700余坪で池の中に大きさが違う三つの島があって海の島を連想するようにし、樓閣がある西の方と南側護岸は直線、東と北護岸は曲線に造景されて絶妙の調和を成しているそうです。

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どこから見ても全体をひと目に眺めることができないような独特な方法で設計されたそうです。

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池に写る樓閣の姿が美しいのですが、池は凍っていました。

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夜のライトアップされた姿がきれいだと聞いたので、また夕方来ることとします。徒歩でも行けるモデルコースがありましたので、それに沿って行ってみました。

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次は、国立慶州博物館です。

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韓国では国立の博物館を無料としているのがすごい。なので、休日には、韓国人も多数博物館に来ています。

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ここでは、主に、電源を見つけてスマホの充電をします。それから、主だった展示物を見ます。

聖徳大王神鐘です。771年恵恭王の時に作られた梵鐘で奉徳寺鐘とも言います。統一新羅時代の梵鐘の模範といえる優れた傑作の聖徳大王神鐘は、当時の優秀な金属工芸技術を示しています。

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この薬師仏は仏国寺の阿弥陀仏、毘盧遮那仏と共に統一新羅時代を代表する金銅仏像に数えられる。8世紀後半のものと推定されます。両手は切断されてありません。

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ラッパ型の脚の上に長方形の板を置いて、その上に馬に乗った武士が座っています。馬の尻の部分に二つの角杯が左右対称に付着しています。慶州金鈴塚で出土した新羅の騎馬人物土器と比較される伽倻の騎馬人物土器で、当時の伽倻人の武装状態を示している貴重な資料だそうです。

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慶州松花山にある金庾信将軍墓斎室である金山斎に伝えられてきたものを1930年に博物館に移したそうです。現在、頭と両腕は破損して残っていませんが、椅子に座った姿勢で右足を左膝の上に上げた半跏思惟像であることがわかります。

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いろいろと見ていて、次の報告書が目に留まりました。

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日本統治時代の朝鮮総督部の報告書です。

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調査したのは日本人です。

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韓国ではまだ考古学が確立されていなかった頃でしょうから、日本の調査により、貴重な宝物が残っていてよかったと思います。

博物館の後に向かったのは、月精橋。

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歩いていると、立派な橋が見えてきました。

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ずっと行くと、なんと工事中。わたることはできません。

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ちなみに、この橋は統一新羅時代に築造された橋の遺構なのですが、復元工事中です。昔のものを昔の姿のままで残すことは難しいのでしょうが、こんなにきれいに色を塗られて復元されるのも興ざめです。それより、工事中で渡ることができないのなら、そのことをきちんと案内してほしいです。仕方がないから、その先の橋まで歩き、そこから見た月精橋。

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橋を渡るとあったのが、司馬所。

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朝鮮時代に科挙に合格した地域の生員と進士という両班に儒学を教えたり、政治について討論した建物だそうです。1592年の文禄の役で焼失し、1741年再建したそうです。保存状態があまりよくなく、荒れています。

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その向かいにあったのが、慶州校洞マウル。

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古い韓屋と新しい韓屋が混ざっています。

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新しい韓屋はきれいですが、

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古い韓屋は維持管理が大変そうです。

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そうかと思うと、人気レストランもあったりして、どこまでがマウルなのか、よくわかりません。

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この辺りは、慶州では有名な「金持ちの崔さん」のマウルで、 崔氏が慶州に定着したのは朝鮮中期頃。10代300年の間富裕だった家系で、富と名誉に満ちた名門家だそうです。その教えがこれ。

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それから行ったのが慶州郷校。しかし、誰だ、正門の前にドカンと車を置く不届き者は。

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横の入り口から入ります。

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大成殿は、孔子の位牌を奉安した建物です。

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ここで勉強したのでしょう。

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儒教の教えですね。

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郷校の奥は公園となっています。

古墳があります。

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この林の中に

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碑があります。

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この碑には、金閼智の誕生にまつわる記録が書かれているそうです。

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金閼智とは、慶州金氏の始祖です。新羅の脱解王の時代、瓠公がこの森で鶏の鳴き声を聞き、鳴き声のする方に行ってみると、金色の光を放つ椻のようなものが木にかかっていたため、そのことを王に告げました。王が森へ行き、その椻の蓋を開けてみると、なかから男の子が現れたそうです。そこから、この男の子に苗字を「金」、名前を「閼智(子どものこと)」とつけ、この森は「鶏林」と呼ばれるようになったそうです。

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ということで、まだまだあたりを歩きます。


by aero-K



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