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「ソウルの達人」への道
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韓国で最初の人工池 扶余 宮南池(クンナムジ)
2013年 09月 27日 (金) 09:00 | 編集
扶余に行ったのは2度目です。

財団法人自治体国際化協会(クレア)は、全国の自治体の海外活動支援や、諸外国の各種制度の調査研究を行っている団体です。ソウルに事務所があり、全国の都道府県や総務省から派遣されている職員、地元採用の職員がいます。所長さんは、鳥取県から派遣されている方です。

そのクレアソウル事務所によると、今年、日本の地方自治体から韓国へ派遣されている地方公務員は8月現在で40名ちょっといます。私もそのうちの一人です。姉妹交流先の自治体に派遣され仕事をしている方が多いですが、大学に派遣され韓国語を学んでいる方もいます。クレアソウル事務所では、このような地方公務員を対象とした研修会を年に数回行っています。韓国の地方自治制度の関する研修も大事ですが、職員同士の情報交換、また、韓国に来なければ会うことはなかった同志、友情を深める場となっています。

そのクレアソウル事務所の研修が、9月12~13日に、百済の都扶余・公州で開催され、参加してきました。

朝7時50分にソウルを出発。遠くから参加する者は、前日にソウル入りです。バスに揺られて、お昼に扶余に到着。

昼食は、ご当地名物の干し鱈料理。扶余には海がないため、干し鱈なんでしょう。
干し鱈の焼き物。
130912lunch (2)

干し鱈のスープ。ピリ辛です。
130912lunch (3)

パンチャンは、地元の野菜中心。
130912lunch (1)

昼食の後、すぐ近くにある宮南池(クンナムジ)に歩いていきました。
130912kunnamji (9)
130912kunnamji (4)

宮南池は、百済時代に、韓国で最初に作られた人工池です。現在の東屋などは復元されたものです。王宮の南にある池なので、宮南池と呼びます。
130912kunnamji (2)

あいにく、雨が降っていて、水面は鏡のように穏やかではありません。
130912kunnamji (5)

KBSの1泊2日は主な観光地はおさえていますね。
130912kunnamji (3)

池の周りには、蓮池があります。
130912kunnamji (1)

植物の種類についての説明もあります。
130912kunnamji (10)

雨にもかかわらず、水面に出た花を撮影している愛好家がいました。
130912kunnamji (11)

蓮にもいろんな種類があるようです。
130912kunnamji (7)
130912kunnamji (8)

昔ながらの水車もあったりして。
130912kunnamji (6)

この後、扶余郡庁を訪問し、観光政策について説明を受けます。9月28日から、百済大祭典が開催されます。このイベントは、忠清南道が2分の1、公州市が4分の1、扶余郡が4分の1の経費を負担し、協議会を作って運営されます。

その後は、国立扶余博物館です。ここは、2回目です。
130912puyo (2)

国宝第287号「百済金堂大香炉」です。
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国宝第293号「金銅観音菩薩立像」です。
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この面白い形の器は、百済時代の男性用の尿瓶です。
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この後は、百済の歴史を再現した百済観光団地を訪問し、百済大祭典実行委員長さんにご挨拶です。

扶余は、宿泊施設がないため、通過型の観光地でしたが、この百済観光団地には、ロッテグループが大規模アウトレットショップ、ロッテリゾートホテルを建設したことから、今後は、滞在型の観光を目指すとのことです。

表敬訪問、施設の視察とあわただしい日程を終え、夕食後は、公州市に移動し、韓屋村に宿泊です。


by aero-K

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百済の歴史を勉強する ~ オジサン二人の韓国旅行 Part 15
2012年 01月 02日 (月) 08:30 | 編集
クドゥレ船着き場からタクシーで5分、国立扶余博物館にやってきました。
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この日は女子高の修学旅行?らしく、女子高生がいっぱい。洋の東西を問わず、歴史学習は
されているようですが、女子高生が歴史に興味がないのは韓国も日本も同じ。展示室の前を
素通りです。それにしても、こんなに素朴な子たちが、ソウルへ行くとあんな美女に変身する
なんて。
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百済(ペクチェ)は、紀元前18年、温祚王がソウル漢江流域に建国したとされています。
「三国通史」によると高句麗の始祖である朱蒙の第三子が温祚王であり、南方に逃れて
百済を建国したそうです。

その後、475年には高句麗の侵攻で漢城が陥落、文周王は熊津(今の公州)に遷都します。

538年、聖王がシビ(今の扶余)に遷都します。

このころの日本は?

538年(日本書紀では552年)、百済の王が欽明天皇に釈迦如来像、経典、仏具などを送り
仏教が伝来したとされています。

588年百済の技術者たちが、飛鳥寺(法興寺)の造営を開始したとされています。

一方、朝鮮半島は、

600年、新羅・唐の連合軍は扶余に攻め入り、義慈王は降伏します。

663年、百済復興のため、倭国は援軍を送り、白村江で新羅・唐連合軍と戦い、敗戦。
百済はここに滅亡します。

668年、新羅・唐の連合軍は高句麗を攻め、高句麗を滅亡させます。

676年、東軍を朝鮮半島から追い出し、新羅が統一します。

博物館には、百済王朝の遺品が展示されています。入館料は無料!
多言語の解説端末を借りて、見学しました。
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国宝287号「百済金剛大香炉」です。百済人が香を焚くのに用いたもので、
蓋にある12の穴から香の煙が出るようになっています。蓋の上部には1羽の
鳳凰が装飾されています。

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国宝288号「百済昌王銘石造舎利龕」。百済昌王13年(567年)に舎利
(釈迦を火葬した際に残った骨や、釈迦の言葉を記録した経典)を供養
したという内容が刻まれています。

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百済を代表する石槽です。

1時間ほどで見学を終え、バスターミナルまで移動することとしました。
徒歩15分くらいとのことなので、歩いて。11時台の公州行のバスの乗るのです。
途中、定林寺跡の五層石塔が見えました。
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1,500年、扶余を守ってきた最古の石塔だそうです。定林寺は今でも発掘調査が続けら
れているようですが、時間の関係上、見学は省略し、バスターミナルに向かいます。

続く...

By aero-K
船をチャーターし白馬江遊覧 ~ オジサン二人の韓国旅行 Part 14
2012年 01月 01日 (日) 09:00 | 編集
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船着き場が営業開始です。前号でも書きましたが、乗客が7人以内と船は出発しない。
ところが、乗客は我々2人のみ。船が出ないと今来た山道を1時間かけて戻るしかない。
さあ、どうする?

「20,000ウォンで船を出すよ。」
「え?」
「ここから、クドゥレ船着き場まで片道一人3,500ウォン。7人じゃないと船はださないので
計24,500ウォン。おまけして、20,000ウォンでどうだい。」

「ねー、ねー(ハイハイ)。お願いします。」

助かりました、二人で2千円しないのですから、即、手打ち。船をチャーターしちゃいました。

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船が船着き場を離れていきます。船着き場の向こうには、先ほどまでいた「落下岩」が見えます。

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川面から霧が立ちこめていて、向こう岸はまだはっきりと見えません。白村江の戦いでは
この霧が勝利の行方を左右したのだと思います。

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落花岩の前を通ります。百済の女性たちは、あの高さから身投げしたのだと思うと...

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雨が降る中、船が進みます。天気が良ければ気持ちよかったでしょうに。

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クドゥレ船着き場が見えてきました。

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古の戦艦?を再現した観光船も停泊されています。我々がチャーターした船とはずいぶん違う。
約10分船旅の終わりです。

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我々がチャーターしたのはこれ。この船のおかげで、時間を節約できましたし、体力も温存
できました。

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クドゥレ船着き場には着きましたが、これからどうしましょう。足もないし。私は、船着き場の
アジュンマに、「テクシー(taxi)!」。他にもこういうお客さんはいるのでしょう、すぐに察知し、
タクシーを呼んでくれました。時刻は9:20、向かった先は国立扶余博物館。

続く...

By aero-K
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